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ときに、アートが発信するメッセージは、幾千の言葉よりも饒舌なことがある。

 

 

世界を巻き込んだ大戦が終わって、世界には秩序が訪れた。秩序といっても、戦争に勝った大国が主導して作り出した、いびつな秩序だけれど。

超大国となったアメリカは、ソ連との冷戦時代に突入した。戦争の抑止力とすることを名目に、各国は次々に核武装を始めた。

アジアに目を転じれば、アメリカと戦って負けた日本は、沖縄を中心に国内にアメリカの基地を有することで、アメリカの庇護下に置かれることになった。

中国はやがて文化大革命を迎える直前だった。

ジャクソン・ポロックが登場したのは、そんな時代だった。

なんでこんな話をするのかと、あなたは不思議に思ったことだろう。だけど、あなたに知ってもらいたいのは、画期的なアーティストが登場するときには、時代が大きく関わっている、ということだ。

傑作が生まれたそのときがどんな時代だったのかを知ることは、アーティストや作品を理解するのに大いに役立つ。ちょっとした思いつきや偶然で生まれる作品の中にも優れたものはもちろんあるけれど、ほんとうの傑作には、アーティストが肌身を感じていた時代の空気が綿密に盛り込まれている。アーティストが何を感じ、どんなふうに考えて作品を創り出したのか、まずはアーティストの創作した時代に思いを馳せて、作品に向かい合えば、よりいっそうそれが輝いて見えることだろう。

ポロックが登場した時代、アメリカは、世界最大の超大国として、経済的にも文化的にも世界の中心になっていた。軍事、科学技術、金融など、あらゆる分野でトップを走っていたし、常にトップランナーでなければならなかった。

資本主義に立脚した民主主義、それが戦後アメリカの打ち出した社会の理想的なあり方だった。

力のある国に、なんであれ、中心がシフトしていくのは世の常だろう。産業革命が起こった時期にはイギリスが世界をリードしていたし、近代的な文化が花開いた時期にはフランスがそれを牽引した。そして第二次大戦後、とうとうアメリカがセンターを取った。

けれど、資本や技術がいくら豊富にあっても、どうにもならないものがある。-それは、感性だ。

たとえば、どんなにお金をつぎ込んでも、どんなに進んだ技術を取り入れても、レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」のような歴史的傑作を創り出すことはできない。意図的にパブロ・ピカソのような天才アーティストを生み出すこともできない。つまり、感性がつかさどるアートは、いくら超大国だからといって、「ほらできた」という具合にはいかないんだ。

豊かな超大国アメリカに生を享けたポロックだったが、「世界の中心」で楽にアーティストになったかというと、そうではない。むしろ、ポロックには、越えなければならない壁がいくつもあった。その中のひとつが「ピカソ」だった。

想像してみてほしい。その時期、世界中のすべての若いアーティストにとって、ピカソの存在は、希望の星であると同時に、脅威的存在だった。二十世紀の前半の50年間で、ピカソとそれに続くヨーロッパのアーティストたちは、ありとあらゆる実験的な手法を試み、美術史に刻まれる革新をもたらした。何かいいアイデアを思いついて、やってみようとすると、それはすでにピカソがやってしまっていた-というようなことを、ポロックはたびたび経験した。あれも、これも、全部ピカソがやってしまった。それは、新しい「何か」-自分にしかない独自性、ユニークネスを希求するアーティストにとって、驚きであり、畏れであり、脅威だったはずだ。

それでもポロックは、試行錯誤を繰り返した。どうやったら「ピカソ」という壁を越えられるか。いったい何が新しいのか、自分が求めているアートとは何か。悩み続け、苦しみ抜いた末に、たどり着いたのが「アクション・ペインティング」だった。

たとえば、動きやスピードを絵で表現するのは、二十世紀初頭に「未来派」と呼ばれる一派がすでに試みていたし、特に目新しいことではなかった。しかしながら、アーティストの動きそのものを絵具に託してカンヴァスに「転記」するのは、誰も試みていなかった。そして、支持体-つまりカンヴァスは、イーゼルに立てかけて絵画を描き込む、というのが、絵を描く際には当然のスタイルだったわけだが、ポロックは、これすらも変えてしまった。

カンヴァスを水平に置き、アーティストはその上を走り回って、動きのままに絵具を垂らす。そしてカンヴァスを覆い尽くす。

その結果生まれたのが、この作品。

 

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ジャクソン・ポロック作 「無題」

これには、ポロックが生み出したさまざまな画期的手法が盛り込まれている。ポロックは、欧米の画家として初めてカンヴァスを「俯瞰して」作品を生み出した。彼の作品には、見る人が視線を定めるべき「中心」がなかった。そして、かたちを成さない、ほとばしる絵具のみで、アーティストの動き、感情、哲学までもを表現したのだ。

ポロックが生み出した作品と手法には、のちの評論家や美術史家によって、さまざまな呼称がつけられた。「アクション・ペインティング」「ドリッピング」「オールオーヴァー」「抽象表現主義」などなど。けれど、ポロックは、それらの呼称が表すような評価を得るために作品を創ったわけじゃない。

彼には、乗り越えるべき壁があった。かれには、追求するべき信念があった。成し遂げるべき革新があった。

ポロックは、この絵、たった1枚の絵で、それらを実現した。世界を変えた。そして、今度は彼こそが、後の世の若いアーティストたちが「乗り越えるべき目標」となったのだ。

 

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