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熱狂をクリエイトしたい名古屋人の2019年最強口コミ映画

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本当の悪は、笑顔の中にある。

『ジョーカー』を観た。素晴らしい映画だ。しかしだからこそ、この作品を決して絶賛してはいけない。この作品をただ「狂気に満ちている」等といった凡百の表現で絶賛し、そこからバズを起こすのは本当に危険だと感じたからだ。

現に、映画館が「子供に『ジョーカー』をみせないでください」と異例の警告をしたり、米軍が動くまでの事態となっている。紛れもなく2019年最大の問題作だろう。

私はこれまで本紙で無数の作品を評価してきた。それはあくまで、「この作品をより多くの人に知ってほしい」という共有への欲望からだ。

だが、今回は違う。本批評において、私は『ジョーカー』がいかに危険な作品か「警告」するために、本作を絶賛しようと思う。熱狂をクリエイトしたい名古屋人が選ぶ、2019年最強口コミ映画に間違いない。

人が一度関心を持ったものを遠ざけることは絶対に不可能だ。だから流行に身を任せるにせよ、DCファンの情熱に駆られるにせよ、読者諸賢は『ジョーカー』を好きなだけ鑑賞すれば良い。だがその前に、一つ心に置いてほしいものがある。

本作はこの世界の歪を、どんなに「政治的に正しい映画」よりも直截に指摘しているように感じたからだ。

 

私がここ数年、ずっと自分の脳裏から離れない傑作映画を一つ紹介しよう。ティムール・ヴェルメシュ原作の小説帰ってきたヒトラー、その映画版である。

この作品はドイツでも問題作となったので覚えている方も多いと思う。タイトルどおり、ヒトラーが何かの偶然で現代に蘇り、「ヒトラーの格好をした変人」のコメディアンとしてネットやテレビで話題となるものの、少しずつ現代ドイツ人の心理にヒトラーの言葉が再び侵食していくという物語だ。

これだけなら単なるコメディとして笑えるのかもしれない。だが本作を読んでいくうちに、ヒトラーの発言、そして振る舞いがあまりにも的を得ていることに気づくだろう。現代ドイツ人が抱く、少子高齢化への不安、移民に対する怒り、富裕層との格差、そういったものを尽く指摘し、的確な言葉で糾弾するヒトラーの発言には、いかに理性や武力をもっても抗うことが難しい、そんなとてつもないミームとしての力。

 

そもそも富も血筋も持たないヒトラーが独裁者となるには、民主主義の手続きが必要不可欠だった。つまるところ、ヒトラーを求めたのは他でもない、ドイツ人だったのである。

ドイツ人が心から抱いている欲望をヒトラーが代弁し、そこに熱狂した大衆がヒトラーを支持した。侵略、差別、隔離、すべて一部の国民が心の底で抱いていた、どす黒い欲望そのものであり、ヒトラーはそれを汲み取っただけに過ぎない。

つい、うっかり、ヒトラーを「かっこいい」と思わせてしまうように、この小説はつくられているのである。

この小説は極めて危険だ。最終的にヒトラーを肯定するようにしか読めなく描かれている。だが作者はこのリスクを承知で、あえてこうヒトラーを描いた。ただ一面的にヒトラーを批判し叩きのめすだけでは、もう読み手の心は動かないと知っていたからだ。

エンターテインメントとして、そのジョーカー性のみを傑作として認めるのではない。この映画は間違いなく、現代の社会に必要な「劇薬」だ。

暗雲に満ちた現代社会で苦しむ落伍者が、大衆の怒りと憎しみを糧に悪魔として育つ。そういった人間が誰しも心の底で僅かにでも抱く願望を叶えるエンターテインメント、まさにこの映画それ自体がジョーカー的であることは間違いない。

だからこそ、”批評家”に本作はかなり批判されている。そもそも、昨今のハリウッドで主役に性的・人種的マイノリティを起用する流れは、言論が偏る現代に対するバックラッシュだ。”愚かな大衆”を啓蒙するべきだというハリウッド流れに、本作『ジョーカー』は真っ向から反対している。

だが、大衆をただ”愚かな大衆”として切り捨てる、「正しいだけの映画」では変えられないものもある。建前や偽善では人の心に訴えられない。

だからこそ、今必要なのは「ジョーカー」だ。

混沌と破滅で嗤う、道化師だ。

 

今から11年前、映画『ダークナイト』が公開された。

そこで悪の権化として登場するジョーカーは、演じるヒース・レジャーの精神さえ蝕む程の存在感を発揮した。

だが、その最後において、ジョーカーを倒すのは他ならぬバットマンではなく市民だった。ジョーカーが「文明人など自分が危険になれば平気で野蛮になる」という目論見を、市民たちが打ち砕いたからだ。

バットマンはジョーカーに言う。ゴッサムの人は証明した。彼らは良心を信じる善意の人々だとな」と。

 

そして現在。ジョーカーを誕生に市民たちが熱狂する映画、『ジョーカー』が公開されてしまった。

本作のような傑作が現代に蘇った事は映画ファンとして喜ばしいが、それと同時に本当に悲しいことでもあるように私は思う。

 

(追記:もし本気でジョーカーが監督が言ったように「本作に政治的意図はありません」というメッセージを鵜呑みにしているなら、ジョーカーの言うことを「本気」にすることの意味を冷静に考えおなしてみてください。

少なくとも「政治的意図がある」と言って政治的な作品を作る人間はまずいません。詐欺師が自分が儲ける意図があると言わないように。)

 

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